Unforgettable Oscar
少し路線を外した大学の授業で偶然聞かされた“性的倒錯論 から “変質論 は、しまいに頭に鶏のつく話にまで発展した。真田は、このような論が医学書の中に当時悠然と蔓延っていたのかと考えると甚だ驚いた。しかし数秒後には持ち前の冷静さと現代人の冷めた視点で資料を眺める。
講義終了のベルで立ち上がる友人が口々に「今日の授業は過激だったね」と笑うのを、真田は苦笑いで返事した。
波を起こしたカーテンから窓ガラスの先へ視線を向けると、等間隔に植えられた樹木の内側に、揺れる黒い天然パーマの髪を見つけた。
友人たちの誘いをうまくかわし教室内に人がいなくなるのを待って、真田は窓に近づく。
窓のすぐ下に、キャンパスを彷徨くのら猫としゃがんでシャドーをする
(それを「猫とじゃれている」と形容しないのなら)唐沢とを見比べて、真田は窓を開けた。
「中世後期の西洋に生まれていたら僕たちは死刑だな」
その声に飛び上がった唐沢と、それに驚いて飛び上がったのら猫はどこかへ一目散に走り去る。その場に尻餅をついた唐沢がやっとのことで笑顔をつくり真田に挨拶をした。
「こんにちは」
「やあ、唐沢。お前どうやって入ったんだ」
「あっちの方の冊乗り越えました」
「相変わらず冒険者だな」
唐沢の遠く指差した「あっちの方の冊」は見ずに、真田はつづける。
「きょうは練習休みか?」
「はい、ですので、不法侵入を試みました」
「とりあえずこっちに来れば」
キャンパス内の時計は丁度昼休みの時間を指していた。唐沢はスニーカーのまま窓枠に片足を掛ける。片手は上の縁につかまり両足で窓枠に乗り上げた。「カバンじゃま」とひとりでに呟いた後、軽く窓の内側に降りて
言った。
「お邪魔しまーす」
しばらくはしゃいだ様子であれこれ見て周り「俺には縁のなかった世界」と笑った。黒板の前まで歩いて行って腕を組み、チョークの描き出した情報を眺める。
「なんかえっちな授業してましたね」
「ま そんなところだ」
真田は唐沢の立つ後ろの机に腰掛けて、先程受けた授業の内容を反芻しては自分たちに些かは関係する話の種に、複雑な感情を抱いた。
「当時だと僕らみたいなのは、人間が退化したものだと考えられていた
らしいよ。しかも医学的にね
死刑が廃止された後も先天的な精神病理、とかそんな調子で
もっとも、今と昔じゃ事情や文化が違うからね」
良いも悪いも言えないけれど、と真田は無表情に付け足して独り言のように以上の説明をした。
唐沢は後ろを振り返って 「へえ、そういう人たちってどうやって生きてたんでしょうね?」と真田の隣に座る。
「さあ、僕はそっちの文化史の専門じゃないからね。 知らない」
「こっそり会ってこっそり帰ってたんでしょうね、
あ、なんかロミジュリみたいですね」
「そうかな」
「でもまあ俺べつにあんま興味ないんですけど」
ロミジュリ、と唐沢は頭をかきながら笑う。「でも、」
真田が言い掛けた拍子に、廊下から複数人の足音がして、ふたりは
しゃがんで机の影に隠れた。
「この状態はけっこう、」
「ヘヘへ」
「なんだよ」
「べつに」
「お前は」
「なんです?」
「どうする」
「なにがです」
「ロミオなら」
「あははははは」
「しっ!」
笑い出した唐沢の頭を叩いて、真田は廊下を目線だけ出して伺う。
「だって真田さんが意味わかんないこと言うから」
「すこし黙れお前は」
「照れてんですか?」
「照れてるんじゃなくて」
「真田さんジュリエットですね」
「まあ何でも良いけど、」
やがて足音は遠ざかったが、ふたりともその場に動かず、唐沢は真田の質問に思案した。
「俺なら ・・・さらいます、そんで、俺の実力じゃ失敗します、んで死刑」
「身も蓋もないな。僕はどうなるんだ」
「当然一緒に殺されます」
「あーあ」
「なんか、、でも全力出したんなら、俺は別にそれでも良いです」
「僕は死んでも良いと」
「すいません死んでください♪」
「しかたないか」
「てまあ、今のは出来たら良いなって感じで」
希望的観測 と一度真田の顔を見て笑ってから、体育座りした膝の先の床を見た。
「たぶん、本当の俺だったら、そんなことはできないです。毎日毎日相手の事を考えながら羊とか牛とかの世話して、それでかわいい奥さんもらって、子供も生まれて、それでおじいさんになって、死ぬんです。
そんなのが
何回も何回も何回も続いてですね、それがやっと真田さんと俺に生まれ変わるんです。あり得ないですかね?俺そういう転生は信じても良いと思ってます。ヘヘへ」
唐沢が笑った直後、景気の良い空腹を報せる音がぐ――――と教室内に響き渡った。
「ぶ」
「台無しだな」
「すいません台無しです、俺腹へりました」
「食べに行こうか」
「おごりですか」
「いいよ」
「やったー!」
「真田さんはやく」と急かして自分は先程と同じ要領でさっさと
窓の外へ降りた。
「ちょっと待て唐沢、僕もここから出るのか?」
「当然です」
何故か仁王立ちで胸を張る唐沢を前にして、真田は笑いながら窓枠に
片足を掛けた。
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