5second
後悔していた。
たった5秒前で良い、梅沢は時間を戻して欲しいと思った。5秒前に戻ることができれば、トイレへ逃げるでも、しんだふりでも、殴るでも蹴るでもして(そのような攻撃がこのプロボクサーに通じるかはひとまず置いておいて)その口を閉じることくらいはできただろう。―おまえみたいなやつはあ、どうせ女の子取っ替え引っ替えで―そんなことないよ―なんだよいい子ぶりやがって嘘つくんじゃねーよ―ウソついてない―じゃあなんだよ、いま恋人いんのかよ―ウーン―ほらな―エンキョリ―遠距離?なにロシア?―ううんニッポン―まじか、どこだよ―オーサカ―は?大阪?―オトコのヒト―?・・・
コレダカラガイジンッテヤツハ。
緊急時だったために脳内のヘッドラインへでかでかと書き出されてしまった偏見は改めて訂正するにしても、少し打ち解けたからと言って、ふざけ半分で立ち入ったこと根掘り聞こうとするのはやはり間違いだった。文字通りふざけ半分の影に隠れた腹の内では、この完全無欠なロシア人―ヴォルグ・ザンギエフをほんの少しからかって虐めてやりたかったのだ。悪いことは考えるものではない。梅沢は過ぎてしまった数秒を走馬灯のように後悔しながら、まっすぐ見詰め返して来る異国の眼球に、未だ目を合わせられずにいた。
「・・・なんか、ぼく、変なこと、言った?」
「・・・い や、 ヘン というかあ、、」
失敗した。同じ轍を二度踏んだ。むしろ今の模範回答はこうだ。「まじか!男か!すっげー!やっぱロシア人はやることちげーな!」 この程度で良い。軽く流してしまえば良かった。
自分の不器用さにほとほと愛想が尽きる。
「ン?」
「うーーん、、 ・・あ ホラ、大阪とかってほら、お前、騙されてるかもしんねーぞ」
苦し紛れの冗談にしても低品質。否、冗談ではないかもしれない。こんな善人を絵に描いたロシア人を捕まえて悪さを企む連中など、悲しいかなこの日本という国には星の数ほど存在する。故に大阪は怖い。東京も怖い。が、たぶん大阪はもっと怖い。何ってまずしゃべり方が怖い。梅沢は無意識の内に独断と偏見にまみれながらも、ようやくヴォルグへ視線を上げた。
自分の不器用に続きお節介にも嫌気がさしてきた所で、いまさら退くに退けない。
「ダマされてる?」
「そうだよ、騙されてるかも」
「・・・ソウネ、だまされているかもね」
哀愁、苦笑い、ヴォルグはにっこりとため息をついた。梅沢は自身の顔面温度が一気に上昇していくのを感じた。・・・こいつ、本気だ、と。
「と にかく、お前、どうやってそいつと知り合ったんだよ?」
「ボクシング。最初は試合の会場だったかな」
「あ?なに?ボクサー?」
「うん、あ、センドウだよ、センドウタケシ。梅沢、しらない?」
梅沢は後悔した。
同じ轍を、三度、踏んだ。一番知ってはいけないことを知ってしまった。まさか、冗談、ヴォルグが、冗談。いや、ヴォルグは冗談を言わない。短い付き合いだかそれはなんとなく分かる。冗談ではないとすると、なんだ、事実か、ふうん。
とてもじゃないが付き合えたものではない。
「・・・ハ?え?千堂武士?あの?千堂武士?」
「うんセンドウタケシ」
「はーあーそー千堂・・・さんねえ・・・」
言い終わるうちに、梅沢の中の千堂武士像は全くきれいに突き崩された。一蹴で風化した。千堂武士とはフェザー級元チャンピオン、外人フェチ変態詐偽野郎のことで、長年の横柄な態度を封印させることのできる弱みを俺は握ったわけだ。なにが浪速の虎だ、なにがスマッシュだ、やっぱり千堂武士は変態だった。なんか信用できなかったんだ俺、なんか怪しいと思ったんだほんと。梅沢の中の千堂武士像は、その跡地へ見る間に新しい形を作り上げた。
「せっかく、ね、日本にいるし。チョット会いたいけど、」
脳と腹の内で梅沢が人様の悪口を連ねていることを知るよしもないヴォルグは、次々とその恋人への思いを馳せる。この場の温度差は尋常のものではないが、恐らくそれを知るのは梅沢だけだった。
「いそがしいし、ね」
一度その温度差を冷静に把握してしまうと、ヴォルグが千堂のことを好きで、千堂のことを考えると平気で浮き足立つことを理解できた。故に引き込まれた。ヴォルグは話しながら相手のペースを軒並み崩すことがある。それが外国人だからか、そもそも天性のものなのか、判断はつかなかった。
「・・・あ、え、、いや、わかんねーんじゃん?」
知らない内にヴォルグの顔を眺めていた梅沢は、滑り出した言葉に我に返る。
「エ?」
「あ、いや、その、」
不思議そうな顔のヴォルグに覗き込まれ、梅沢は慌てふためいた。日本人とは違う、透き通った、ガラス玉みたいな・・・自由に錯綜し始めた思考を自力で投げ捨て、数センチ後ろに下がりながら言う。
「連絡してみりゃいいだろ。一日、二日が空かないほどじゃ、」
「え・・でも、」
「あーーもうデモじゃねえ!」
梅沢は携帯電話を出し、ヴォルグに投げ付ける。受け取ったヴォルグは、きょとんと手の中の電話を見て、次は梅沢を見た。
「まず一歩にジムの電話番号聞いて来い、そしたら、それで、千堂さんに、かけろ!会う約束取り付けるまでは切るな!良いな!」
心臓がはち切れそうだ。なにやってんだおれ、が頭の中で渦をまく。梅沢は肩で息をつきながら、「わかったか?」聞き返す。ヴォルグはやがてにっこりして答えた。
「梅沢、いいひと」
照れ隠しに、そっぽ向き、頭をかく。
―5秒でいい、そのにっこりは俺の物になんないかな。ふいに出戻ってきた先ほどの思考に首を振り、ヴォルグに気付かれないよう、梅沢は口を尖らせた。
Close.
ひとり茨の道をゆく 笑 kijicoさんにこっそりささぐ
梅沢くんとヴォルグにしあわせが降りそそぎますように! ご退屈さまでした ‘120329